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人工知能の進化

人工知能の進化 のページ写真 1

2024年2月29日、Christine Barry

人工知能(AI)の歴史は、皆さんが思っているほど浅くはありません。アラン・チューリングが1950年に発表した論文『Computing Machinery and Intelligence(計算機と知性)』では、知的マシンの作り方や、その知性をテストする方法について論じています。AI を開発するのに必要な計算能力やその他のツールが存在しなかったり、アクセスできなかったりしたため、チューリングが自分の理論を試すことはありませんでした。1956年、コンピューターのトップ研究者たちがダートマス人工知能(AI)会議に集まったとき、事態は多少進展します。ここで「人工知能」という言葉も生まれました。

熱意あふれる研究者たちは、AI の可能性を信じて会議を後にしました。国防高等研究計画局(DARPA)全米研究評議会(NRC)といった機関が、AI の初期開発に資金を提供し始めます。そこから 20 年の間に、コンピューターは定理を証明し、方程式を解き、英語を話すことを学びます。AI の研究者たちは当初、20年以内に完全な知能を持つ機械ができると予測していました。ところが、このブームは1970年代半ばには急速にしぼんでしまいます。資金を出す側の期待に応えるような進歩が見られなかったためです。スポンサーは資金を引き揚げ、研究センターは閉鎖され、1974年になるころには AI 開発はカタツムリのようなペースに減速しました。これが、1980年まで続いた「第1次 AI の冬」の始まりです。

1980年代初頭、企業はコンピューティングと生産性ソフトウェアの将来性を認識し始めます。計算能力が向上し、ソフトウェアが改善され、企業はこのテクノロジーを業務に組み込むことで何百万ドルものコスト削減を実現しました。これが、潜在的な AI 研究者やスポンサーにとって、いわば「概念実証」となります。資金調達は再開され、新たな AI ブームが始まったのです。この熱狂は 1987 年まで続きますが、景気後退が AI 開発の妨げとなります。1987 年から 1993 年までは、「第2次 AI の冬」として知られています。

1993 年以降、 AI 開発は着実なペースで進んできました。計算能力が向上したうえに研究能力がスケールアップし、ムーアの法則とかニューラルネットワークとかビッグデータといった言葉が飛び交うようになります。そして 2023 年 11 月、ブレッチリー・パークで第1回 AI 安全サミットが開催されました。合計28カ国がブレッチリー宣言に従うことに合意し、人工知能の課題とリスクに対処するための国際協力を確立しました。全出席者のリストはこちらでご覧いただけます。

AI は経済のあらゆる分野に変革をもたらす力となっています。これは、あらゆる規模の企業にチャンスと課題の両方をもたらします。バラクーダは、サイバーセキュリティの複雑な状況をナビゲートし、AI がサイバー防御の将来をどのように形成しているかに光を当てるために、新しい e-book『明日をセキュアにする(Securing tomorrow):サイバーセキュリティにおける AIの役割に関する CISO の手引き』を発行しました。この e-book では、セキュリティリスクを調査し、サイバー犯罪者が攻撃の規模を拡大し、成功率を向上させるために AI の助けを借りて悪用する脆弱性を明らかにしています。今すぐ無料の e-bookを入手して、最新の脅威、データ、分析、ソリューションのすべてをご自身の目で確かめてください。

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原文はこちら
The evolution of artificial intelligence
Feb. 29, 2024
https://blog.barracuda.com/2024/02/29/the-evolution-of-artificial-intelligence

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